悪のことを少しだけ考えてみたり

 みなさんお元気ですか。自分は苦しいし鉛のような不安で未来が恐いよーと感じたり、自分が他人と何一つ同じでないような感覚に陥ることもあるけど、一応認知療法やら瞑想やら筋弛緩法やら感情から距離を置くやらの知る限りの技術を活用しつつとりあえずは落ち着けたり切り抜けています。
 なので苦しいなあって人で対処法を見つけられてない人は、その辺を探ってみると何かちょっとは楽になれる場合もあるかと思うのでおすすめします。自分も、以前に比べればずっと耐性は付いてきてるような気はする…たぶん。
 それに、誰だって何らかの重荷はその都度背負うし、毎日が全くの平穏でずっとご機嫌、ということはないわけだし。大人だからいちいち喚き立てないだけで。ネットであっても。よくわからないけど。たまには喚いたほうがいいよね喚けるなら、という気はするけど。
 話はかわって、サンデル教授の講義のこともあって、正義であったりとか道徳とかの辺りを考えたりして。まあ相対主義とか、道徳は結局はロジックの問題じゃないよなーとか、いくつかあるんだけど、それらは次回にするとして。
 「ベルセルク」を読んだのもあって、「悪」のことについて思いを馳せるなどしました。
平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学も再読したんですけど、両者の一致点を統合すると、悪にはいくつかの共通点みたいなものがあるらしい、ということがわかりました。
 だらだらと書くしかできないんですが。自分の弱さ(有限性)だったり罪の意識、その苦しさみたいなものを引き受けない、拒否すると、悪に堕ちる、みたい。あと、悪が自分以外の誰か、特に身近で大切な(と普通は考えられる)人を生贄(スケープゴート)にするという点も一致してた。だけど悪を完全に選択すると、その分強くなるというか、ある種超人的になることも同じかな?あと自分と他人に対する欺瞞があるのも同じ。
 欺瞞は、私が見て醜いとか悪だなって感じたものには大体あったから、嘘・欺瞞と悪が関係するのは体感的に解るんですけど。弱さや罪を引き受けないと悪になるとか、その辺りの必然性が分からないと言うか、言語を絶している、というわけではないかもしれないけど言語化・モデル化が難しそうだしよくわからないなーと思います。
 でも自分の苦しみにもその辺りに陥るか陥らないかの境目はあったような気はするので、うっすらとわかる感覚はなきにしもあらず、なんだけど。でもやっぱりわかりませんが。とりあえず欺瞞については思考が届きそうなので考えたりしてます。
 なんか、全然整理できてないですが。とりあえず三浦先生はなぜこういうことに限らず、心について完璧といえそうなほどシミュレートしてあのマンガを描けているのだろう、わけがわからない、という感想で終ります。