例のバスケ漫画の事件の人の意見陳述。うわーというかへーというか、ある意味ありありと想像できるものではあるんですけど。まあ色々と自分いじめ(とか人生格差意識みたいなのとか)が激しいなとは思いました。そういう人はそれなりに多いけど。私はそこまで自虐的にはなれないので、別にどうしてもしたかったら覚悟を決めて妬んで道連れでもなんでもしたっていいじゃない、それを断罪してくる奴らにどうこう適当なことを言われたくもないし、と感じてしまいましたが。なのにこの人は断罪して欲しいとかどれだけ自分を抹殺したいねんと。ここにも愛と哀しみと正しさの絡み合いがあるのですね。にしてもこれだけ自己把握できる知性があっても、それだけが足場じゃどうこうできなかったんですかね。勉強次第で「何か」になんて簡単に気付けそうっていうかさ。あんまり学問とか知的探求には興味が湧かない人だったのかしら。まあ気付いたり解っただけじゃどうにもならないっちゃそうだけど。
 でも程度の差はあれ私も自分いじめは色々やっちゃってる気がするのでなんか気をつけよう、とか思いました。最近もマゾヒスティックな感情に気付いたりもしてるし。こんな表現では伝わらないし語弊がある気がするが。愛は快楽とも苦痛とも同一ではないので難しいってことです、多分。  
 あと嘘に纏わる(といっていいのか)事件も目立ってますね。特に言いたいことはないっちゃないが。それなりに面白いのでいいです。