だったら自分のことなんかじゃなくて

 何か愛するものについてでも書けばいいじゃない。って話ですよ。ええっと、アニメの「日常」を面白がったりしていました。
 キャラクターも魅力的だったり、ギャグとして面白い、というところも多く、タイトル通り、基本的には日常で経験するような風景や状況や人の言動が描かれているわけですけど、なんていうか単に「あるあるネタ」をやっているわけではなくて、そこに深みないし本質があるように感じました。根底に流れている思想的なテーマは、笹原というキャラクターが台詞でいう「日常は実は奇跡の連続かもしれない」って考え方でしょうねおそらく。
 自分が今ここにいたり、見たり聴いたり感じたり呼吸したり身体動かしたり、他者と関わりあったりできてふつーの日々を送っているっていう「当たり前」は、もちろん当たり前の日常だけど、実は奇跡なんじゃないの。っていう。で、これはきっとそうなんだよ素敵だね、っていうポジティブな成分とか希望をもちろん含んではいるんだろうけど、「(多少無理してでも)そう思いたい、そう世界を見れる自分でいたい」こととは少し違う気がするんですよね。そこが発生源ではないというか。
 もっと冷静に世界や自分について考えたり認識した結果、そう思わざるをえない、っていうか事実そうじゃないか、みたいな確信のともなった哲学的な認識。だから、日常は奇跡だけど、でもやっぱり日常だから、ある意味退屈だったりぱっとしないのも変わらない。そこが消えるわけじゃない。でも考えれば考えるほど日常は奇跡としかいえないじゃんやっぱり。みたいな感じじゃないかと思います。もちろん私の読みでしかないですが。
 とはいっても、自分としては「日常は奇跡」ってのは、確かに考えるとそうだっていうのは頷けるし、美しいとも思うけど、身体レベルで馴染む、自分の内側から確信が湧いてくるような世界観かというと、ちょっとそこまではいけないか…みたいな微かな剥離感ていうのはありますが。
 でも優れた表現には、そういう類の思想というか、その表現者の「確信」が現れている、読み取れることは多いなーと思います。割合言葉ですっきり表現できるものであれ、もっと深層的な混沌としたものであれ。そういうのに触れたり考えるのは面白いし、探求していきたいなーって思う。