自分なりに消化したかったのかもしれない

 あ、そういえばあまり気にしてなかったけど、あんな日付で更新途切れてたら誤解される恐れがあったかもしれない。自分は全くもって大丈夫ですのでご心配なきよう。
 大切なものを失くしたら、それはやっぱり辛いことなんだろうな。自分の苦しみは自分だけで引き受けられても、自分以外の誰かも関わる苦しみは、背負うのはより難しいのかもなって、以前に漫画か何かを読んでそう思ったのを思い出した。まして普通にやさしい、自分を責めやすい繊細な人は。みんながそう、というよりは、そういう人だからより背負ってしまうのかもしれないが。
 私はもともとの性格もあって、わりと薄情な利己主義者になってしまったけれど。あんまりにも壊れやすいのもまあ、どうなのか、と思うけれども、たぶん人間のそういう部分が、祈りとか、弱さを許す強さとか、不安定がゆえに美しいものを生み出しているのかも。感傷的なのも良し悪しだけど。
 ただ叶わない願いを持って生きるのは、たぶんきっと、苦しい。それをいつか手放すことになっても、それもまた。
 といったことを、考えてた。震災やその当事者を直接意識したとかってわけじゃなく、別のことがきっかけで。誰にどんな慰めを言えるわけでも、特に言う気もないけど。なんというか。まあ、私は私なりにやっていきますよーという感じです。