流転する

精神の状況としては、セルフモニタリングしながらノートに書き出して個別の不安や根底にあるらしい信念に対応したり、心理療法の概念で使えそうなのを当てはめてみてフィードバックしたりを通して、浮き上がった問題を処理するとか、自分の感情や内的感覚、思考の前提の気づきを負の側面に限らず深めたりしている。
 もう耐えられない、みたいな劇的な辛さはもう普段はないけど、対人場面における葛藤、自己像、うまく自然に振る舞えない、みたいなことや、それに囚われてしまう気持ちの堆積、とかがあったので最近はその辺りを処理していた感じでした。新しい環境への適応も先月から始まったのでそれもあった。つっても「適応しよう、馴染もう」みたいに考えてやったとか、それを目標にしてはいないけど、いまの結果だけ見たらまあいい感じなんでは、という。
 あと、自分の自我状態というか、意識の様態に極端な2つがあるっぽいことにも気づいた。一方は多分に過去のネガティブな体験にもとづいたもので、人におびえたり気にしたり、受動的で、感情と身体が剥離したような感じのある意識。もう一方はもっと独立感があって、他者批判的だったり怒りを発しやすいところがある、率直な、どちらかというとこっちのが「素の自分」っぽい感じの意識。外から見てそれほど違って見えるかはわからないけど、身体的な振る舞いも異なる感じがした。ゲシュタルト療法でトップドッグとアンダードッグという概念があったので、そういう感じのものだろうと思っている。ただどっちも度を過ぎると演技的な感じが強くなる?かな。うまく両者を接続して、統合というか共存というか混在させればもっと巧みに生きられるだろうと思った。
 その他もあったりしました。