揺れる想い

何かを言葉にすると、言ったことや書いたこととは別の側面が逃げる。そしてすごく説明のしづらい部分が残ってしまう。ここに色々と想いや考えを書いていると、そういう経験がかなりある。それは単語や表現がずれていて完璧に言い表せていないということだけじゃない。断言したこととまったく正反対のことが確かに、そこにあるのだ。言葉だけじゃなくて、心を解釈するときもそれは当てはまる。すごく多相的だと思うし、たぶん多層的でもあると思う。層が縦のレイヤーだとしたら相は色相みたいに横のレイヤー。レイヤーとは言わないか?
何らかの行動や言葉が他者にどう受け取られるか、自分がどう理解するか、というのも色々ある。そしてそれは想像力であるとか経験や立場によって複数の理解がなされうる。そしてその解釈には、おそらくそうだろうという妥当性はある程度あっても、それをそうだと証明するような客観的証拠はない。
正しさが誰かを否定・断罪する、というのはそういう側面があるのは確かだけれど、だからといって何も否定しないことがやさしいのか、やさしいことだとして、それが誰かを救ったりするのか、という点では必ずしもそうではない、というところはある。
だからといってただ叱責したり追い詰めるようなことをすればいい、そうすればみんな変わる、と思っているのも当然違うわけで。といって、どっちつかずの中庸が常にいいわけでもないだろう。
でも、だからこそ選ぶしかない。本当は心はすべてを含んでいて曖昧で、アナログの極みだとしても、言葉や行動や自分が選ぶ自分は、ある程度でもデジタルに、どこか決まったところに振れなければ。