字と漫画

 「統御」という言葉が語感も字面も意味も好きだなーとか思って、憧憬とか陶酔の感覚を抱いたりする。でもこの字だっけと思ってしまった。確か旧字での表記だともっと格好いいはずだと。こういう言葉や単語が好きだ、というこだわりはそれほどない気がするから自分で意外に思う。けど、哲学系の難しげな文章や単語は字面だけで割と好きか、そういえば。
 それとひぐちアサの「ヤサシイワタシ」を再読してみたりして、色々なんか勉強になった、というと違うか。前読んだときどう感じたかあんまり覚えてないけど客観的に理解できる部分が強くなってる、という気がする。
 一方で情動における同調だとか、雰囲気や鬱的なものを感受できる能力みたいなのは確実に減ってるだろうなと。うわあめんどくせえ的な感想が出やすくなってしまってる。ネットで見る他人の懊悩みたいなのも、それくらい処理できるだろうに、そこまで重くなる必要性ないでしょ、みたいに反応する率が高くなっている。まあ実際、自我で反応しすぎてるから面倒なことになってるとしか思えなかったりするのだけど。
 そういう意味では人間味だとかこのマンガのいう「やさしさ」みたいのを失っているのかもしれないなあ、とか思った。まあしょうがないよね。そういうのはもうめんどい。
 あでも澄緒ちゃんが電話切られたシーンは同調しました。こういう辛さってあったはずないけどあったなとか。そうだ話してるフリして、受話器返すときの感じが、いつだったかあったなそういうのが、と。その辺りが上手くてすごいと思う。
 あと弥恵が最後にああなったのは、自分の中で考えつくのは、弘隆も結局は絶望とか色んな暗いものに付き合ってはくれない、「正しい」方だから、見捨てられた、じゃないけどそういう断絶があったんじゃないのかとか。そういう暗いものは、本人もいずれ見捨てて手放すしかないのかもしれないけど、そこにいる人間からすれば、光は敵だ。
 説明できている気がしないけど、自分で置き換えてシミュレートした場合、そういう感じならわかる、と思った。
 いくつか会話で解らなかったところもあるので、また読みたい。