面倒だ

 考えるのが面倒だ。性格だとか、色々な心の反応が、結局のところ言語化して整理することのできないところがあって、無意識というかどうしようもないなあ、と思った。ある対象になぜ笑うのか、嫌悪するのか、惹かれるのか、説明できる原理は見当たらない。多少はできるけど、最終的には「こういう種類のものにはこういう反応が出る(っぽい)」ってことでしかないから。
 あと考えて分析ばっかじゃなくて野生に戻れ、自然に委ねろよいい加減、みたいに思うところもあるというか。もちろんコーピングのために言語化や整理や俯瞰も必要なんだけど、それが通用する部分とそうでない部分の切り分けも必要かな、と。
 もともと、論理とか思考とか知性とか、ってそこまで、最高に価値高いものだとも思ってない、といったら大した知性でもない奴が何を傲慢なって話ですが。個人的には考えるのはある程度好きだし、必要で有用なものだとは思うけど、それ自体に求められるものってそんなにないよなあ、というか。
 なんかもう疲れてきたのかもしれないw嘘っぽいというか、根拠の根拠なんて結局ないんだしさー。あるとしてもそれは言葉や思考自体とは違うところで。それを無理に求めると形而上学か宗教になるけど結局はでっちあげじゃんと。いや、別にでっちあげで悪いわけじゃないですし心にしっくりくるものなら全然ありだろうけど。
 ここではそれなりに分析的に書いている(つもり)けど、本当はどうでもいいしめんどくせーとか言ってるほうが自分っぽい気もする。全部自分なんですけど。
 こういうこと書いてもなんか嘘くさくなってしまうし、しょうがないんでしょうが。