割り切り侍

 ある種の不毛さがすごく嫌いだな、というか苛立ってしまうことがある。なんかネガティブな輪の中でループするようなものが、あったりとか。もっと具体的に明晰に考えないから、適当な世界像を作り上げてその中で不幸になってるんだよ、って思うような思考がある。しかもそれをわざとかというくらいずっと維持し続ける。人間ってネガティブな想いに執着する傾向があるよ絶対、って私が言うことでもないんだけど。自分の経験も含めて。あと仏教的にも悲しみや不幸を貪る欲があるとか。全然そうじゃない人も一定数いますけど。
 なんつーか、不幸だとかネガティブな感情を抱いてしまうのは、その原因がもし勘違いや行き過ぎを含んでいたとしても、それ自体は別にいいっていうか、肯定していいわけですよ、別に。それを手放さずにループするならするでいい。でもそれに自覚的ではないというか、問題を解決して幸せになりたいけど現実にこうだしそれは動かせない事実だから無理なんだ不幸なんだーみたいなのがなんか。それ思い込みでしょ普通に考えてみたいなのが。っていっても具体性に欠けるのであれだけど。
 問題や葛藤を何らかの形で解決しよう、あるいは解決が不可能というのが答えならそれでもいいから冷静に判断しよう、せめて何が嫌なのか、苦しいのかとかを整理しようっていうところじゃなくて、その負の感情にしがみついて、他人を攻撃する方向に走るのとか。わかってもらいたいのだとしたらそれ逆効果じゃん、とかすごい思う。いや、それでいいならいいけど、そうじゃなくて、攻撃しといてやっぱわかってくれなかった、ってなったら目も当てられないわけで。感情に飲まれてる場合にそういう感じになってしまうのはまあ、わかるんですけど。
 もちろん、そういった要素は自分にもすごくある部分で、だからこそ苛立ちもあるんだと思う。なんというか歯がゆい。ネガティブに陥っている自分が、そのままの形で、何かによって救われたい、みたいに思ってしまうのだけど、それはなんというか無理なんですよね、たぶん。どれだけ他者が自分を慮ってくれたとしても。それは自分の心の中まで直接には届かない。
 自分もちょっと今そういう感じの感情とか思考が出ているので、整理しつつどうなのかなーという感じ。結局のところ自分はダメなんだ、みたいな気持ちとか。それと同時に自分の苦しみはわからないくせに、という怒りとか。どこまでどう割り切れるのか難しいところ。割り切ると、そういうものだと認めてしまうのが辛いから、だからネガティブなままでいようとする、ということもあるのかもしれない。救いなんてない、というのが答えというのは辛いから。