言葉の迷路的な何か

批判するんなら見なければいいじゃん

動画サイトの「批判するんなら見なければいいじゃん」ってコメントに違和感を感じる。

 思考を触発されて考えて、答えは割とすんなりでたけど、結構奥深いなーというのを思いました。
 この言葉のどこがおかしいのか、というと、何かを批判していることとそれを見たくなかった・見るんじゃなかった、ということは同じではないのに、それを混同していることだと思う。もちろん同じである場合もあるけれど、それは批判の内容による。
だから、「見るのが嫌なら見なければいい」はおかしくないけど「批判するなら見なければいい」は通用しない。批判しているからといって見たくなかった、見たくない、とは限らないのだから。
 で、おかしいのはそれだけといえばそれだけだけなんだけど。ややこしいのは、この発言が文字通りとれば単なる提案なのだけど、恐らくは対象となる動画を批判される・文句をつけられるのが不快だ、というのが発言をする動機。
 だから、そこから考えた場合、「批判するなら見なければいい」というのは「私の好きなものに文句を言うな」というものを隠れたメッセージとして含意する。
 で、それは言葉自体には現れてないものなんだけど、まあ言外の意味を読み取ることはみんな当たり前にやってることだし、この場合簡単にわかることだ。
 でも、その言葉通りの意味と言外の意味をきっちり区別して受け取れる人はあまりいない。だからこそ、その「本当の意味」のほうを先に見出して、それに対して「おかしいところ」だと判断してしまうんだな、とこの記事に対するレスとか、を見て思った。

他人がどういう感想もとうと、自分が「イイッ」と思ったんなら、それでいいじゃん。なんで、他人の行動を規制しようとすんのよ。

「批判するなら見なければいい」は、その言葉だけ見れば別に行動を規制しようとする発言ではない。「あなたが批判するほどそれが嫌いなら見ないほうがあなたの意に沿った行動ではないのかしら」ぐらいの、批判者の立ち位置に立っての提案だ。
 言葉だけなら。でもこのレスは真意である「悪口を言って欲しくない、言うな」を読み取って、それを「おかしいところ」だというふうに思っている。他人がどういう感想を持つのかについて禁じる権利はない、みたいに。
ただそれは発言自体への批判にはなってない。発言自体は「批判禁止」といっているわけじゃないのだから。
 自分が肯定しているものを否定されたくないというのはわりと普遍的な心情じゃないだろうか。それを考えれば、「批判してほしくない、するな」という気持ちやそれゆえの言動それ自体は、別におかしくはない、おかしさはそこにはない。
 それで…とか、書いているとすごく知恵熱が出そうな感じになってきた。ちょっと混乱。こういう利害の絡むことになると言葉のストラテジー使う人多いし、使ってない人にもそれを適用しようとする人も多いからあれだ。色々めんどうかつ怖い。
 だからみんな気をつけようね!(という混乱してきた文章にさり気なく終止符を打つためのストラテジー