何か書いてしまったので

 世界から拒絶されてるような、どこにも居場所がないような感覚とか、幸せになれることなんてないのだと思ってしまう恐怖を思い出した、というか感じた。
 昔は誰かから嫌われるとか拒絶されることも当然恐れてたし、コンフリクトとなるようなことがひとつも起きないように、ただ精神的な危機に陥らないように、日々をそういうタスクのように感じながら生きてたなあ、そういえば。どんなにそれをこなしてても楽にはならなかったけど。席替えが恐いなんて、大抵の人にはわからないことなんだろうな。ぐぐったら多少あったw なんで周りがあんなに一喜一憂して騒いでるのか気持ちがさっぱりわからなかった。そりゃ好きな人とかと一緒にいたいのだろうけど。
 自分がまともな人間じゃない、正しくない、とかそういう意識で満たされてたし、恐怖でいっぱいだった。まあ、思い込みや感じ方のひどさもあった、と今なら言える、けど。あんなくだらない感情に囚われて振り回されてなければ、もっと何かを頑張って「何者か」になれてたりしたんじゃないか、と思ったり、そんなわけもないか、どうでもいいけど。
 やっぱり学校なんて狭い場所でごたごたやってるから、それが世界のすべてになって、色々とよくないのかな、って当時も思ったけど。自分を傷つけるようなことをしてきた人たちも、そんなことしてる暇があるなら、もっと有意義だったり楽しいことがあるだろ、って感じだけど、その人たちにも抑圧めいたものはどっかにあったんだろう、とは思う。自分には特に問題にはならなかった勉強ができるできない、面白くないとかがプレッシャーになってた人もいたのだろうしな。他人の世界はわからないけど。
 子どもなんて家庭が酷いとかでもなけりゃ、何もかも普通に与えられてるんだから、基本的に満足の心で、あとは無駄に傷つけ合ったりせずに夢や何かに向かって頑張ってれば、それが理想的な気がするけど。そうもいかないのは、所詮は動物だからなんだろうなーと。群れの中でどうなのかが問題になったりするんだろう。スクールカーストとかってそういう話ですよね、結局。
 今はネットもあるから余計な圧力も減っているとよいなあ、と思い、以前そういう感じの事例も見たので、たぶん世界は正しい方向に向かっているんだろうと思いたい。自分も、誰も助けてくれなかったと思いながら、結局は人に救われてたんだ、と気付いてしまったりしたし。
 そんなのも全部勘違いっちゃそうなのかもしれないけども。心は面倒だなと思う。