存在するとかしないとか

似非科学::アスペルガー症候群なんて存在しない!
精神的な病や障害などの存在論的なこととか、その診断基準がどうとかはほとんど知らないから、その妥当性を私がどうこう言うことはできない。でも、専門の研究者たちが積み上げた研究に基づいた分類であることは確かなんじゃないかと思われるわけで。だから、単純にコミュニケーション能力が低いというだけのことじゃない何かがある、と少なくとも専門家たちは判断していると考えられるわけで。ていうかこの人の言う「コミュ能力」だって定義付けて測定できるような概念じゃないと思うし(と私が言うかって感じだが)。
そしてそのような専門家たちの診断に基づいて誰かがアスペルガー症候群だと診断されたなら、そういう存在があるとして対応することに、その人を助ける上で、また周りの人にとっても、意味はあると考えるのであって。(それはうつ病だってそれほど変わらないのではないのだろうか。なぜうつ病に関しては是認しているのだろうか。)それに対応した制度や組織が形作られることもあるだろう。そういったものをこの人個人が信用しないしできない、というのならそれはそれで仕方ないだろうとは思うが、もし社会的に否定しようというなら自身が専門家になってそれを立証する必要はあるだろうなとか。
まあ、難しいところかもしれないなと思った。原子を見たことなんてないから原子なんてない、と思いながら生きている人がいたとしても、直接それに関わる仕事でなければ大して問題にならないかもしれないけれど、精神疾患なんかない、という人の近くにそれで苦しむ人がいたらあれだろうし。結局、その人が苦しまない方がいいと思うかどうか、じゃないかと思うけれども。

関連追記

自称アスペでもいいじゃん。 おいらは自称アスペです。人に言ったことも..
こちらの内容には結構共感した。
だもんでいくつかのブックマークコメントの批判的な向きに、苛立った。だが、それは自分に対するものとして捉えてしまうからだ。ので、この内容の擁護ということではなく、迷ったが、自分に起こった感情、思索として記す。
批判は表題の「自称アスペでもいい」に強く反応したものと思うし、そういう行為を誰も彼もがすることを危惧するのは理解するし、批判自体もそれ自体が間違っているわけでなく、正しいとは思う。確かに「自称」なんかではなく、診断があった上で名乗るのが、一番正しいしベストであることは間違いない。
ただ、この方のように、誰かに触れ回るためなどではなく、苦しみや困難を捉えやすくし、他の経験と結びつけることで生きる術や希望を見出すことができるきっかけとして、病名であれ何であれ、を用いることはあるし、それは悪ではない。
少なくとも私は同性愛者であるとか、幼いころ場面緘黙であったとか、そういう自己認識を持っている。どちらも診断なんてされていない。だからといって、それを「免罪符」のように用いたつもりもない。というかどちらも殆ど他言したことはない(ウェブ以外で)。そして、これは私が自分の混乱や苦しみに(少なくとも意識上で)対処できるために、必要な自己認識であると思う。知ることができていなかったら、今以上に混乱したままだった可能性もある。
だからそういう行いをただ、病気は専門家に判断してもらうべきだから、自称なんて「よくない」と判じられたり、「ラベルがないといけないのか」「脳内にとどめとけ」などの言が投げかけられるのは、「私の苦しみもわからずに」という憤りも生まれる、というのが正直な気持ちだ。
簡単に「自分は〜だから」なんて言うな、言うべきでない、病気であればなおさら、というのは正しいだろうが。私も「簡単に正論をかざして正義のつもりになるな」というような感情になった。
それは自分の苦しみや「やっとの思いで自分が何であるのかを知れた」ことを蔑ろにされて、「自称」の部分だけを取り上げて「悪」であるようにされると感じるからだ。同情しろとはいいえないけど、あまりに「非」の部分に注意が向けられているように見え、そのことは少々納得がいかなかった。