場面緘黙症について

小学校3年生から5年生ごろまで場面緘黙症と思われる状態で学校で過ごしました。

その頃からはだいぶ年月も経ていますし、その途中でそれなりに良好な人間関係の中で過ごした経験もあるにはあるし、自分の過去の苦しみにはある程度ですが整理がついている節もあります。だから、緘黙のころ、そしてその名残の辛さ・苦しみからは現在はいくらか隔たりがあるようにも思うのですが、緘黙症の認知度を高めるといったことの意義もあると思いますし、むしろ余裕があるから客観的に書けるのだと考えて、整理してみようと思います。

とはいえ、あまり自身の具体的な経験に焦点をおいて書くことは心理的な負担や、記憶も鮮明でないこともあり、少し難しい気がするので、どちらかというと抽象的・一般的に「場面緘黙症」という病名に帰属させて、その問題などを語ることになるかと思います(今後も語るとして)。

ただし、私自身は病院などで診断されて病名を付けられたわけではありませんから、そのようにして語ることに問題はあるかもしれません。基本的に私個人の経験に基づいたものであることをご了承ください。

今回は簡単な説明とまとめです。

場面緘黙症とは

簡単に言えば、言語能力自体に問題はないけれども、特定の場面で緊張や不安のために話せない、という状態になってしまうことです。

ウェブ上の資料での説明

場面緘黙症 - Wikipedia
かんもくネット〜場面緘黙とは〜

問題点

  1. 話せないこと、が良好な人間関係を築くことの障害になる。
  2. 話せないことが他者に敵意や悪意の表れと受け止められる場合がある。
  3. そのため、話せないことが自己否定の要因になる。
  4. それらが原因で、緘黙以外の副次的な苦しみを感じる(具体的には、自分はおかしな人間だ、他人から好かれないつまらない人間だ、などといった否定的な自己評価)。
  5. 苦しんでいることが表面化しないため、問題視されず、適切な援助を受けられない。
  6. そのことが鬱憤、恨み、絶望感(誰にもわかってもらえない、助けてもらえない)の原因になる。

主にこういったものが私の経験から感じた問題です。私は比較的幼い頃に発症して(緘黙自体は)治りましたが、人によっては、大人になっても治らず、他の精神疾患も併発してしまう、ということもあるようです。また治っても対人の場が苦手だったり極度に緊張するとか、緘黙のころに培われたコンプレックスが持続することもあるようです(私も前より軽くはなったがこの状態)。

ウェブ上のリソース・ブログ

場面緘黙症Journal-学校などで話せない場面緘黙(かんもく)症
資料配布・書籍情報など、一般向けに有用な情報を提供なさっているサイトです。ブログでは場面緘黙症の研究・緘黙について取り上げたメディアなどについても言及されてます。

ほんとうは暖かい光が好き 〜場面緘黙症との闘い/ウェブリブログ
場面緘黙の元当事者の方のブログ。http://www.eonet.ne.jp/~preciousshine/の立ち上げに携わっていらっしゃいます。

基本的に以上のサイトやそのリンク先などで、基本的な情報は揃うので、私が語る意義がどこまであるかはあれですが、まあ、ハブというか、はてな近辺だと関連記事が少ないな、とも思うので。非コミュ、という単語もありますが、それだと適応範囲が広いのと、はてな外部の人には伝わりにくいこともありますし。