回りくどくて小難しいだけだったり、つまるところ何を求めたり表現したいのかわからないようなものとか、ただ嘆くだけのような言葉とかには、苛立ちを感じやすい、このところ。このところっていうか、結構前からか。苛立ちというほど強くはないけど。なんだろうな、それでじゃあ結局は何がどう問題で、どういう方向に解決したくて、解決とまでいかないにしてもどの辺りが理想や欲していることで、それが社会や他人や何か動かしがたいもののせいだというならそれはそれでいいのではっきりさせていこうよ、無闇に嘆くだけとか能書き垂れるだけじゃなくて、あなたはどうしたい、何がお望みなのかはっきりさせていこうよ、いや嘆くことが目的です能書き垂れるのが目的です、というのならそれでいいからじゃないとこっちがモヤモヤすんだよ!というように感じてしまう度合いが強まっている。というか個々の誰かの言葉に対してそう思うっていうよりは、相対的にそういうなんかはっきりしないものが多いよなーって積み重ねで苛立ちが起こりやすくなる。まあ勝手に苛立つなんて余計なお世話というかマッチポンプ(じゃなくて自虐か)もいいところだし、誰だって常に、何が問題といえばこれが問題で、何がしたいかといえばこれで、そのためにこれが必要でっていう爽快なやり方に習熟しているわけでもないし、そういうところに最終的には至る必要があるとしても、色んな意味で「途中」の悩みや感情や思考がどろどろのまま、ロクに俯瞰も整理もされぬまま勢いに浮かされて露出しているのが世界であるので、しょうがないわけです。それが嫌なら見るなという話です。いや見てもいいけど結果モヤモヤを抱いたとしても誰に文句を言えるものでもないのです。そう私も今まさにモヤモヤを発散させるためだけにモヤモヤした文を書かなければならなかったのだから。