心とは何かという深遠な問いwに対する暫定的な理解

 心については、自分を洞察したり、感情から距離を置きつつ受け止めて整理したりと、認知療法とかその他の療法でもいいとされてることを書籍でも学びつつ、少しずつ実践していったら、原因がいまいちわからないけど無駄に苦しいとか、些細なことで動揺しすぎるみたいなのは、ひとつひとつ和らいでいっている感じです。ただ短期間でよくなっているというよりは、一度に何かが解消するような感覚を覚えることもあるけど、全体としてはゆっくりと、って感じですけど。
 でもなんでこんなことになってるんだ、というのはかなり謎でした。もちろん心理的問題を全く抱えない人生というのもないとは思うけど、なぜかなり小さい頃から緘黙になって、心では負の感情や認知やらに苦しんでいたのか。認知の歪みがどうとか言われて確かにそれっぽいものがあったりはするけども、じゃあなんでそれが酷かったのか、そもそもそれっていうのはなぜ生まれるんだ、とかは普通に考えてもわけがわからないじゃないですか。別に、特別に酷い環境で育ったということでもないはずので。
 遺伝的要因やそういうのも、そりゃあ性格とかには関係あるんだろうけど、それだけじゃあの時は死にたいとか思うぐらい苦しかったけど、今はそうでもなくなった(自分が客観的にすごく変わったとかでもないのに)、とかいうことを説明できない。ということは性格とか生まれつきの何かだけで済む話じゃない。
 あと、ネットとかでも人の言動とか見たりすると、人によって何にどう反応するかっていうのが、まあわかりやすいぐらい違ったりするとか、メンタルが健康な人がそうでない人と明らかに違う捉え方をしてて、誰でもうつ病になるとか言うけどそれちょっと嘘じゃないの明らかになりにくそうな人やなりやすそうな人はいるだろって思ったりとかして、ちょっと行き過ぎた不毛な言動とかにたぶんこういう気持ちだったりするのは想像つくけどなんでこうなんだろうなあとか、なんで健康な人がそうでない人を全く理解できなかったり拒否的な反応を示したりするんだろうとか、自分なりにそういったもろもろを整理したり推し量ったりしてたわけです。
 そういった心理関係のことを、名の知れた心理療法とかその概念とか含めて、ウェブで探っていたら、自分としては「ああそういうことだったのか」ともう大体は腑に落ちるぐらいの説明をしてくれるものに出会ってしまいました。だってもうほとんど自分が体感したことが、すっきりわかりやすく理解できるんだもん。
 えーっと、その参考にさせて頂いたサイトは主に、もう一つの精神医学ハイブリッド人生心理学というところです。別々の方の理論で、内容的にはその射程が違っていて、前者は完全に「精神疾患」というものに関しての、それがなぜ発症して、どう治療できるのかといった、用語も割りと専門的なものです(けど平易)。後者ももちろん精神の病についても含んでいますが、いわゆる「精神病」ではない人でも心において持つような問題も含めてその対処や成長をするためのものになっていて、用語も比較的普通に理解できやすいものな感じ。でもたぶん相互に矛盾はしてなくて、基本的に心が未熟であるがゆえに問題が起こるし、心の病気ってのはいうほど特別なものではないし、治すことはできるってのは共通しています。
 自分なりにまとめると、(もう一つの精神医学によれば)人はもともと赤ちゃんの心が最初にあって、それは感じたことがすべてだったり、受動的だったり、自分と他者や外界との区別もないある種何でも自分の思い通りになるような世界に住んでいる。それが生まれ落ちてから、色々経験したり、辛いことも味わっていくなかで、思い通りにならない現実を知って、主体というものを確立させていく。その中で自分の感情は自分で受け止められるようになって自分のことを自分で考えて自分でどうにかしていくことができるようになっていく。だけど、それが上手く行かない場合がある。心の世話が十分でなかったりとか、そういったことの結果、基本的な安全感が不足したり、苦しいことを自分で受け止められなくて、それを心の外に切り離してしまい、それが病気の原因になる。また、(ハイブリッド人生心理学によれば)感情の問題と現実の問題を一緒くたにして、破壊的に考えてしまったり、自己の重心がぶれて「他者にどう見られる、どうされる」ことばかりを心配してしまったりして建設的にできず、物事が解決しないままになってしまう。だから、感情を鵜呑みにせず自分の中で流しながら理解して、行動は感情とは分けて考えて、建設的にやっていくことで、諸々を克服していける、というのが端折り過ぎかもですが、ざっとした骨子ですかね。正確なところは読んでいただかないと誤解に繋がるかも。
 あと、説明に使われている幾つかの概念も、あ、なるほど、あのことね、って感じで自分を理解するのに役立った。赤ちゃんの心(原体験心性)が「述語同一性論理」で働いている、っていうのは、たとえば場面としてはぜんぜん違うのに同じように感じる不安とか、客観的・物質的には誰にとっても同じはずの世界がその時の心理でなんだか全然違って感じられることとかを考えれば「多分そういうののことか」って思うし、「脱落意識」ってのは、「自分がまともじゃない」みたいな感じのこと、「否定価値感覚」は「正しさで誰かを責めたり裁いたりしたくなる怒りや優越感の絡まった感情」みたいなこと、と自分の感じたことに当てはめて解釈すると納得いくことが多いです。
 きっと心はもっと複雑で個別的なものだから、こういう理論では説明し尽くせない領域もあるだろうし、理論だけ鵜呑みにして図式的に理解してもたぶんそれほど意味はなくて、自分の心を洞察したりしながら手助けする、という形で納得していくべきものなんだろうけど。
 まあもし学問的・専門的には厳密さとか客観性・実証性・有効性その他が十分とはいえないという問題があるとしても、別に関係ないですけどね。自分には少なくとも自身の問題に関しては、これらの説明でかなり納得がいくし、それで実際役に立つのであれば、その納得できる範囲で信じるし、役に立つ範囲で(認識や実践において)使う、ってだけで。人に過剰に触れ回ったり「あなたはこうだね」って決めつけたりはあまりよくないだろうから、それはしないけど。これを書いてる時点で触れ回ってることになるんだろうか。まあもし役立ちそうなら参考にしてみては?ぐらいの気持ちはある。
 例えるなら、洗剤がどのように化学的に働いて汚れを落としているのかなんて、ほとんど知らないけど(せいぜい界面活性剤が汚れとくっついて離れやすくなるんだよねぐらい)、でも水だけで洗うより汚れが落ちると自分が確信できるなら使うのと一緒、かなあと。汚れをよりよく落とすという結果がわかっているのなら、そして知る限りでそれ以外に危険性があるわけでもないのなら、そこに完璧な科学的保証とか自分の認識がなかろうが、そりゃ使いますよ。「これすごい汚れ落ちるわよ!使ってみて」って他人に薦めたくもなるわ。あ、心に汚れがあるからそれを落とそうとかいう話じゃないですよ。例えてる部分を取り違えないでね(ふと心配に)。
 ていうか心に関する考えなんて、「気の持ちよう」だったり「信じなさい」だったり、それぐらいならまだしももっと過激な素人考えがゴロゴロしてる上にどれがおかしくてどれがまともと断言できるようなわかりやすい基準や証拠があるわけじゃないんだから、それらに比べれば実体験や観察に基づいた、「これで一挙に全部解決!これが正解!」とかじゃない、ずっと丁寧な説得力のある考え方だと思うわ。それも結局は私が主観において信じてるに過ぎないですけどね。
 どちらも精神分析の考え方がベースにあるので、フロイトやその流れに関する本なども読んでみたりはしましたが、心は自我とエスによって構成されてー、そのメカニズムで神経症が、欲動がーていうのが満載でなんつうか学術的すぎるというか平易に理解できたり納得できる感じでもないし、病気の理解には役立ったりもするだろうけど、そこまで詳しくなりすぎても現実的な自己治癒に役立てられるわけでもないかな、という印象ですた。自己治癒を度外視しても探求していくかどうかは好き好きだろうけど。他にも参考になる精神医学系、臨床心理系のリソースはありました。
 あとはまあ病んだ心とか関係なく、文学とか漫画とか音楽とか、で表現されてる高尚だったりもするものとか、俗世間とかテレビとかの低俗だったりもする諸々に触れれば、それらを通じて理解できることもあったりなかったりしていいんじゃないでしょうか。つーか久しぶりとはいえなげえ!