自分・自分・自分 Part2

 ダブスタとかって言うけど、自我からすればそんなの当たり前だよって話なんですよ。自分が他人を批判したり否定するのは気持ちいいことだけど、自分がそれをされるのは嫌だと思う。これのどこにもおかしさはない。限りなく自然な欲求だと思う。ただ、それを何の遠慮もなく実行したら他人からは嫌われるだろうし、傷つく人もいる。だから、嫌われたくなかったり、傷つけたくないという思いがあれば、基本的にはそれをしないという規範ができる。それだって自分の欲求や必要に基づいて選択されていることであって、他人が自分を差し置いて無条件に大事だからではない。それだけの話じゃないか。
 自己愛をネガティブな、よくないものだという考えで書かれてる意見ってたまに見る。自分のことにしか興味がないから他人をないがしろにするんだ、そんなだからお前・俺はダメなんだ、最低だ、みたいな奴。でもそういうのって、そもそも自分を根本から肯定できてないから、(内的な)他人の視線に振り回されて、結果実際には他人を尊重できない、というのがまだ正確なところじゃないのか。
 自己愛をなくすことができるわけない。だって、自己愛ばっかりの自分はダメだ、っていう否定的な意識だって、自己愛がなかったら生まれるわけないだろ。そうやって自己否定して他人に阿ったつもりでいるのが間違いの元なんだよ。そうじゃなくて、自己愛ですが何か?自分は自分がすごく大事だし世界中の人が死んだとしても生き延びたいし、自分以外みんな敵でも自分は自分の味方ですけど、というのが真っ当なんだよ。もちろん真っ当じゃない自分も卑屈な自分も自己否定する自分も自分だから大事なんですよ。
 自分を肯定してるから、その周りにいる他人も肯定したり、まともに配慮できるってことであって、逆じゃないだろ。たしかに周りや他人から認められることで自分を肯定できるという場合もあるだろうけど、それが全てなら常に自分を認めている誰かがいないと生きていけないってことになる。認めるということにどういうことを求めるかにもよるけど、そんなの普通無理でしょう。
 ってなことを書くと、自分を愛せない自分はダメだ、みたいになることもあるけど、そういう、自分を愛せない自分も、ダメだと思ってしまう自分も、だから、大事にするしかないんですよ。
 まあ、間違ってるのかもしれないけど(という自己防衛)。
何か説教っぽい書き方になってしまった上に、誰かがどっかにいくらでも書いてそうな内容だなーと。勢いつけて書くと、こういう文体になってしまうというだけなので、ご容赦ください。