補足

ちょっと先のエントリが長いので、分けて、少し補足しておきます。

私は、意識的には、「完全に何もしない、はマイナスになることはあってもプラスにはならない。」と思っていました。

と書きましたが、「誰かに対して何かすることがマイナスになることはあっても、プラスにはならない」ということを意識的に考えて、何もしない、ということもあったと思います。だから、一貫して「完全に何もしない、はマイナスになることはあってもプラスにはならない」と意識的に思って行動していたわけではないです。
このような考えというのは、特に、相手からの働きかけがあった場合など(「何かをすること」の期待が大きいとき)に、ちゃんとした発語や、「普通の」対応などができないとき、に強く思っていたことです。それと、私のそのような生活全体を通して、このままでいることが将来や未来の損益につながる、という思いがあっての基本的に通用する命題として、考えていたことです。
だから、所々を取り出して考えれば、何かをする・しないが自由に選択でき、私がそれをしたくないという気持ちが強い場合には、「何かすることがマイナスになってもプラスにはならない」という局所的な判断を意識的にはしていた、と思います。ただ、その場合の「したくないという気持ち」も、大抵は私が抱いていた恐怖に起因していたことが多い、という風に認識しています。
何か言い訳じみてる気がするのですが、そういうことも確かにあった、ということです。矛盾や誤謬があったら何方かでもご指摘いただけるとありがたいです。