続きのメモ

非コミュのエゴと、コミュニケーション - シロクマの屑籠
を読んで。
非コミュ側からそうでない人に含意としての悪意や恨みがましさが発せられているとか、非コミュも十分エゴイスト、など。
悪意のないことや、あくまで恐怖や不安でできないことを表明…できたら非コミュってことになってないよなーたぶん。対人の場においては、そういう責任を負うことを覚悟するしかないんだろうかな。
ただ、別に私の空気を読め!と能動的に思ってるわけではないし、本当に不安なだけの場合もあるんだよ…少なくとも、そういう子供がいても、声を上げないがゆえに、大人からもそれほど省みられないという状況は、どうにかすべきじゃないかな、と思います(それとも、お前も悪いとこはある!と諭すか?改善はしない気がするな)。私がね。緘黙については、少しずつでも書いていこうと思う。